長崎四国八十八ヶ所霊場第88番の古刹『東雲山理薬院 浄安寺』に行ってみた
長崎県長崎市の市街地から見て山手側には寺町という寺が群立するエリアがあります。
そこには多くの観光客が訪れる「興福寺」という唐寺もありますが、それ以外の寺院に訪れる観光客は殆どおりません。
しかしながら、長崎の風俗(エロい方じゃなく、文化とかそいうの)を観る事出来る貴重な場所となっております。
本日は、知る人ぞ知る長崎四国八十八ヶ所霊場第88番『東雲山理薬院 浄安寺』に行ってきましたのでご案内致します。
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▼アクセス
「浄安寺」へは、JR長崎駅前から出ているチンチン電車(路面電車)の長崎電軌2、3、4、5系統のいずれかに乗り、「めがね橋」もしくは「市民会館」で下車し、山手方面に進んだ「中島川」を越えた辺りに広がる寺町の中にあります。
※この寺院のある場所へは、日本初の唐寺である「興福寺」もしくは、坂本龍馬が起こした日本初のカンパニー「亀山社中」の跡地へのついでに訪れる方が殆どだと思います。
住所:〒850-0872 長崎県長崎市寺町5−14
▼寺町
寺町エリアに知らずに足を踏み入れると石垣が積み重なった、さながら城の様な風景が広がっております。
「元は城だったのかな??」と疑問になったので、先に訪れた興福寺の社務所で聞いてみました。
「長崎では昔から大火が頻繁に発生しており、江戸時代には街全体を焼失させるようなものまで発生してしまっておりました。
特に長崎大火と呼ばれる火災は深刻で、再建にも多くの歳月を要したそうです。
その復興を行う際に町割りを見直す一環で街中にあった寺院を山手に集めたのが本日に続く寺町の始まりとなっております。
この石垣群は、長崎に大火が発生した際に、防火壁の意味合いも持たせて石垣が連なった構造をもったそうです。」
石垣一つにも意味があり、歴史がありますね。
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▼東雲山理薬院 浄安寺
鐘楼と一体となった山門が珍し『浄安寺』の前に到着しました。
門前にある石柱には、聖徳太子が造った薬師如来が安置されていると記載されております。
・・・絶対うそやん・・・・・
いつ頃から当山に伝わった伝承かは分からないですが、恐らく寺格を上げる為に作られたガセ(嘘)です。
なぜなら、聖徳太子は長崎を訪れていないし、太子という身分も合わさり没後すぐに聖徳太子自体が聖人として崇められ、御作と伝わる仏像は神聖視されてきたので、この寺院にあるものが本物なら、誰しもが知っているはずだからです。
でも、寺格を上げる為のガセ伝承というものは、当山だけでなく各地の大小様々な寺院や景勝地でも作られ、伝わってきております。
それは、現在でも約77000の寺院が全国にあり、その中で単立でお坊さんが食べていけている寺院は1割もありません。
現在よりも寺が多かった時代には過当競争を生き抜くために、ありとあらゆる手段を用いてきており、ガセ伝承というものは、その一つで一休さんの頓知の様なものだという事です。
山門をくぐって直ぐにある本堂です。
当山の創建は寛永元年(1624)で、佐賀県唐津の僧・誓誉が本尊び阿弥陀如来坐像を祀り開山しました。
斜面に造られた寺院は、開けたエリアが狭い為、写真の様に上に登る様にお堂が造られております。
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▼さいごに
以上で、知る人ぞ知る長崎県の寺町にある古刹『東雲山理薬院 浄安寺』のご案内となります。
人懐こく寺院付近で多くの参拝者、観光客に可愛がられている猫をご覧いただきながらのお別れです。
皆様も訪れてみては如何でしょうか。
ご精読ありがとうございました。
▼最寄りの宿
ホテルベルビュー長崎出島
JR長崎駅から路面電車で約5分、空港リムジンバス停から徒歩約2分。全館有線LAN・Wi-Fi回線完備
850-0861
長崎県長崎市江戸町1-20
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